我が家の不登校経験談①~不登校になるまで~

不登校

こんにちは!あおです!

息子は小4で不登校になり、現在フリースクールに通う中2です☆

小6まで完全不登校だった息子が、現在は笑顔でフリースクールに通うまで回復

数年間ゼロ勉でしたが、現在は自ら勉強もするようになりました。

そんな我が家の不登校体験談を、今日から少しずつ紹介していこうと思います。

初回は、不登校の予兆期から本格的に休み始める前までの記録です。

この時期はお母さんたちも不安でいっぱいの時期ですよね。

我が家の経験談が少しでもお役に立てたら嬉しいです。

不登校前はどんな子だった?

まず初めに、うちの息子がどんな子なのか?を簡単に紹介しますね。

元気いっぱい野球少年だった

息子は小さい頃から体を動かすことが好きで、幼児期はほとんど公園で生活している?と言うくらい、外遊びが好きな子でした。

おもちゃでじっくり遊ぶよりも、とにかく体を動かしたいタイプ。

野球が大好きで、小学校に入学してからもいつも友達と野球をしたり公園で走り回ったり。
真っ黒に日焼けして元気いっぱい走り回っている子でした。

勉強はどうだった?

お勉強については、決して好きではないけれども、可もなく不可もなく…といった感じ。

特別できるわけでもないけど、特別できないわけでもない…。

でも漢字ドリルなどの繰り返し学習や、「ノートや文字を丁寧に書こう!」などと言った、大人たちが「丁寧に」「ちゃんと」「きちんと」と言いがちなことは、苦手なタイプでした。

ただ一方で、小さい頃から、好きなプロ野球チームの選手名と背番号など野球に関することは、あっという間に記憶していました。

本も好きで、1年生の終わり頃に戦国武将に興味を持ってからは、不登校になるまでの約2年間、戦国時代に関する本を夢中で読んでいました。
(読書と歴史が大の苦手だった母の知識なんぞ、あっという間に追い越されました…汗)

興味のある本を読み始めると、やめろと言ってもやめないくらい集中し、本の世界に入り込む。

学校での勉強は好きじゃないけど、自分から興味を持ったことはどんどん覚えるタイプ

そして、興味をもったことは「やってみたい!!」と。

何でもすぐチャレンジする子でした。

困っていたことも・・・

友達と元気に走り回り、色々なことにチャレンジできる。
本が好きで、大人顔負けの戦国時代の知識もある。
ありがたいことに健康な体もある。
それで十分じゃないか!と思いたい一方で…

母としては、
・忘れ物が多い
・整理整頓ができない
・物の管理が苦手
・何をするのもダラダラ時間がかかる
息子のこのような部分に悩んでもいました。

これは私の育て方が悪いのか?
母としての対応が悪いから直らないのか?
ずっと悩み続けていました。

これについては、不登校になった後にADHDと診断されました。

診断を聞いた時は、ショックは全くなく心から納得。

むしろ「息子のせいでも、自分のせいでもなかったんだ」と、安心したのを覚えています。

コロナ禍での1年間

小3に進級したタイミングで数ヶ月のコロナ休校を経験しましたが、休校明けも普通に学校に行っていました。

少年野球に入っていたこともあり、コロナ禍でも外で体を動かして楽しそうに過ごしていました

(ただ、3年生の後半から時々頭痛を訴えることがありました。
今思うと、何らかの前兆だった可能性はあります。
でも、その時はただの気圧や天候によるものだと思っていました。)

小4 新しい担任と息子の変化

新しい担任

コロナでイレギュラーな日々でも、友達と楽しそうに過ごしていた息子。

3年生から4年生への進級はクラスはそのまま、担任の先生だけが変わった4月でした。

始業式での担任発表後、知り合いの上級生に「担任〇〇なんだって?ドンマイ!」と言われた、と言いながら帰宅した。

どうやらよくヒステリックに怒る先生で、嫌っていた子が多かったとのこと。

でも4年生って、ちょうど厳しい先生にあたりがちな学年ですよね。
ある程度締めるとこは締める必要もあるだろうし…

「色んな先生がいるからな…まあ、がんばれ!!息子!!」
と思いながら1学期がスタートしました。

4月の途中から始まった頭痛

先生は変わってもクラスメンバーは同じ。

「新しい先生はよく怒るし怖い。」とよく言っていたけど、何だかんだでこれまで通り、普通に過ごせるものだと思っていました。

ところが、新学期開始から2週間経った頃から、朝「頭が痛い…」とよく言うように

3年生の時も時々頭痛が出ていたし、季節の変わり目だから気候のせいかねー?なんて言いながら、小児科で痛み止めをもらい、様子をみていました。
でも、3年生の時よりも明らかに頻繁に頭痛を訴える息子。

朝一で小児科受診して、2時間目から登校させたり。
「とりあえず行ってしまえば、頭痛いのも忘れるよ!」
なんて励まして、薬を飲ませて朝から登校させたり。

「今日は特に辛そうだから…」
と覚悟を決めて休み連絡をした日もあったけど、昼前にはすごく元気そうにしているんですよね。
(不登校あるあるだと思います。)

本人に聞いても、「もう痛くない」と。

「それなら今からでも学校行こう!先生にちゃんと説明してあげるから大丈夫だよ!」
と張り切って学校に電話をする母。

(本当は、しっかり休ませてあげたほうがよかったんですけどね(涙)
当時は不登校への知識や理解もなく、本人の気もちに寄り添う対応をしてあげられていませんでした。
ここは今でも後悔しています。)

その頃はまだ、そんな流れで行ける日もあり、4月も5月も完全に欠席した日は1日づつくらいでした。

何が原因なの?

この頃から、「これはメンタルから来ている頭痛だな」と感じ始めました。

「学校で何か嫌なことない?あったら教えて。」
とちょくちょく聞いていましたが、聞くたびに言うのは、
「先生が怖い」「先生に怒られる」と。

それでも連続で休むことはなかったし、何とか励まし背中を押しつつ、5月は乗り切れるかと思っていた矢先…

5月末から急に連続で行けない日が続くようになりました。

その時に、「あ。これは本当に行けないやつかもしれない…」と、直感で感じたのを覚えています。

後々わかったことですが、この前の週に息子が、クラス全員の前で担任から激しく叱責されたことがあったそうです。

でも、息子はその出来事を口にはしませんでした。

息子がそのことを自分の口から話せたのは、数か月後のことでした。

何でも話せる親子関係の大切さ

その日を境に、状況は急激に悪化していきました。

担任があの先生でなければ…と今でも思うことはあります。
後になって、息子も「〇〇先生に怒られたことが、学校に行けなくなった原因だった」とはっきり言っています。

でれでも私の中では、
「私のそれまでの育て方、母としての接し方も原因の一部だったんだろうな」
とも思っています。

息子にとって、当時の私は
「何でも話せるお母さん」
「自分をそのまま受け入れてくれる優しいお母さん」
ではありませんでした。

もし私が、
子供の心を優先した子育てをしていれば…
息子が安心して何でも話せる母親だったら…

あの時息子が、
不安な気持ちや感情を言葉にして吐き出すことができていたら…

もしかしたら、違う流れになっていたかもしれない。
とても後悔していますが、もう過去は変えられません。

でも息子の不登校がきっかけで、私はそれまでの自分の間違いに気づくことができました。

そして、変わることができました。

もちろん、当時はそんなこと思う余裕などなく
「どうすれば不登校を回避できるだろう。どうすれば抜け出せるだろう。」
しか考えられず、毎日朝から晩までひたすら不登校に関する情報をネットで読み漁る日々でした。

そんな中、不登校経験者ママさんたちのブログや経験談には特にパワーをいただきました

不登校母は孤独になりがちです。
寄り添ってくれる友達や家族はいても、不登校を実際に経験した人にしかわからない悩みなんかもあるのではないでしょうか?
すぐ解決するわけじゃなくても、誰かの経験談を読むことで共感し、安心することもあると思います。

私のブログを読むことで、誰かに少しでもほっとしてもらえると嬉しいです!

まとめ

みなさま、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今回は、
・不登校前の息子はどんな子だったか
・不登校の前兆
・不登校のきっかけになったできごと
について、書いてみました(^^)

この時に後悔したことは、
・もっと、息子の気持ちを聞いてあげればよかった。
・でも息子が何でも話せる親子関係ではなかった。
ということです。

前回の記事にも書きましたが、今お子さんが学校に不安を抱えていて悩んでいるお母さんたち、今すぐ家でできることなので、ぜひお子さんの話を聞いてあげて下さいね!

くれぐれも!求められていない意見やアドバイスはしないように!
(親的には納得いかなくても。)
話をするのは、お母さんではなくお子さんですよ!!

ではまた、次回お会いしましょう。あおでした(^^)

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