こんにちは!とらすけです🐯
我が家の息子は小4で学校へ行けなくなり、小6まで完全不登校。
中1からフリースクールに通い始め、
中2になった現在も笑顔でフリースクール継続中。
今は自ら勉強をするまでに回復しました。
勉強に関する過去記事はコチラ👉️「不登校〜勉強の遅れはどうする?〜」
第5話まで書いてきた「我が家の不登校経験談」シリーズは、引き続き一旦お休み。
(👇️経験談の過去記事は、下のリンクからどうぞ👇️)
今回は、
「毒親育ちの私が、我が子に対しても毒親子育てをしてしまった」
というお話です。
子ども時代、私は毒親に支配されて、悲しい思いをしてきました。
それなのに、無意識のうちに「自分も子どもを支配していた」——
そんな過去を、振り返ってみます。
↓【不登校経験談】過去記事はコチラ↓
我が家の不登校経験談①~不登校になるまで~
我が家の不登校経験談②〜原因になった出来事〜
我が家の不登校経験談③〜スクールカウンセラー〜
我が家の不登校経験談④〜不安と焦り〜
我が家の不登校経験談⑤〜先生が変われば…期待と現実〜
↓【毒親経験談】過去記事はコチラ↓
【不登校母の過去①】毒親に育てられた私が「自分の人生を生きていない」と気づいたきっかけ
【不登校母の過去②】母親の育ちが子育てに影響?毒親育ちの私が気づいたこと
私はどんな親になった?

子ども時代、親の理想を叶えるために、
自分の人生を生きられなかった私。
そんな私が親になった時…
どうなったと思いますか?
「自分の理想を押し付ける親」になっていた
子供の頃、自分がされて悲しい思いをしていたはずなのに…
気づけば、自分も親と同じことをしてしまっていました。
そう、私が大嫌いな
【親の理想を子どもに押し付ける親】です。
もちろん、当時の私は全く自覚はありませんでした。
そもそも、小さい頃に感じていた「悲しさ」や「苦しさ」にすら、
気づいてなかったのです。
子供の頃から、自分の気持に蓋をすることが当たり前になっていた私は、
そのことにすら気付けなくなっていたのです。
でも中学受験はさせたくなかった

そんな私ですが、
「親と同じことをしなかった」部分が、1つあります。
それは、息子には中学受験をさせなかったこと。
理由は2つ。
・自分が中学受験をしたくないのにさせられたから
・息子は、中学受験に向いているタイプではなかったから
もし、息子が勉強が得意なタイプであれば
「もっと上を目指させたい」と思っていたかもしれません。
でも実際は、息子は“のんびりマイペース型”。
“コツコツ努力型”とは正反対の子でした。
そのおかげで、中学受験への期待を持たずに済み…
ある意味、親子共に救われたのかもしれません。
じゃあ、息子に何を求めていた?

私は、学歴や成績に対して特別高い期待は持っていませんでした。
でも、その代わり求めていたのは…
・人並みの成績
・人並みの結果
・周りと同じくらいできること
つまり、
「普通であってほしい」 という願いでした。
・「飛び抜けた得意がなくてもいいけど、目立った苦手もない子」
・「全てにおいて平均的な子」
そんな「自分の理想の子ども像」を息子に押し付けるようになりました。
毒親的だった私の子育て
何が毒親だった?

ここまでの話だけ聞くと、
毒親感はあまり感じないかもしれません。
親なら誰でも、そのくらいは期待すると思います。
じゃあ、私の何が毒親だったか?
それは、
・間違った思い込みの押し付け
・「子どもの気持ち」や「苦手さ」への、理解のなさ
です。
間違った思い込み
・自分が子供時代にできたことは我が子もできて当然
・苦手なことは真面目に練習し、努力すればできる
・真面目にコツコツやれば誰でもできる
・社会で生きていくためは、「ちゃんと」しなければならない
これらは、子ども時代の私が「親に認められるため」
に身につけてきた価値観です。
だけど、私はそれを当然のように、息子にも当てはめていました。
子どもの気持ちを理解しようとしなかった
「自分ができたのだから、子どももできるはず。」
当時の私は、本気でそう思っていました。
私がこだわってきたことは、
確かに、社会で生きていく上で大事なことかもしれません。
でも、息子にとっては「苦手なこと」ばかりだったのです。
私は、自分がそこそこ器用にこなすタイプの子供だったため、
苦手な子の気持ちが全くわかっていませんでした。
問題だったのは、
「理解しようとしても難しかった」ではなく、
「理解しようとする気持ちすらなかった」 こと。
息子を矯正しようとしていた

人間は、生まれつきの気質、得意不得意が必ずあります。
・きっちりしている子
・何事もそこそこ要領良くこなせるタイプの子
その一方で…
・のんびりマイペースな子
・整理整頓が苦手な子
・「きちんと」「ちゃんと」が苦手な子もいます。
息子は、完全に後者でした。
当時の私は、そんな息子に毎日イライラして、
「あれができてない!」「これもダメ!」と、注意ばかり。
できていることには目を向けず、
“枠からはみ出た部分”をなんとか修正しようとしていたのです。
・このままじゃダメな人間になる
・今のうちに矯正しなければ
・せめて人並みになってほしい
そんな不安や焦りで、口うるさくなる毎日でした。
「子どもの気持ち」を無視していた
自分の価値観を大事にして努力することは、
悪いことではありません。
でも私は、それを息子にも強要しようとしていたのです。
・それが、どうしても苦手な子もいる
・発達段階的にまだ難しい子もいる
そんな視点を持てず、
ただただ「こうあるべき」と押し付けていたのです。
気づけば、
自分がされて嫌だった「親の理想の押し付け」を、
私自身が子どもにしていたのでした。
息子はどうなった?

私は、自分の親と同じ、
親の理想を子どもに叶えてもらおうとする毒親になっていました。
自分の不安と心配を、子どもに解消してもらおうとしていたのです。
そんな子育てに、息子は10年近く耐えてきました。
しかし、不登校でうつ状態になったのをきっかけに、
それまでのストレスと私への不満が、大爆発してしまうのです…
まとめ
毒親に育てられた私は、気づかぬうちに、
自分自身も「毒親的な子育て」をしていました。
理想を押しつけ、
・できていない部分ばかりを指摘する
・子どもの気持ちに目を向けようとしなかった
今振り返ると、息子には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でも当時は、「それが子どものため」だと信じて疑いませんでした。
でも実際には、自分の不安や価値観を、子どもに押し付けていたのです。
息子が不登校になったことで初めて、
自分の子育ての問題点に気づき始めました。
それは、
・息子の気持ちを無視していたこと
・違う個性を受け入れられていなかったこと
子どもは、自分とは違う人間。
得意なことも苦手なことも、それぞれ違って当たり前。
不登校を経験した今は、心からそう思えます。
今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう。とらすけでした🐯
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