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【不登校母の過去②】母親の育ちが子育てに影響?毒親育ちの私が気づいたこと

不登校

こんにちは!とらすけです🐯

息子は小4で学校へ行けなくなり、小6まで完全不登校
中1では希望のフリースクールに週1回通学、1年間継続しました。

そして現在中2。
自分の力で勉強をしたいと、フリースクールから新たな道へ切り替え中です。

小学校後半はほぼゼロ勉でしたが、今は自ら勉強をするまでに回復しました。 
 ▼勉強に関する過去記事はコチラ
「【不登校】「勉強の遅れ」はどうする?不登校の子が勉強に取り組むために必要なこと」

第5話まで書いてきた【我が家の不登校経験談】シリーズは、引き続き一旦お休みして、前回に続き、「毒親」に関する私の経験談をお届けします。

前回は、「毒親に育てられた私の子供時代について」のお話でした。

今回は、「毒親に育てられたことで出来上がった、私の価値観」について書いていきます。



毒親に育てられた結果、どうなった?

私の「努力」は何のため?

自分で言うのもなんですが、私は子供の頃から、親の期待に答えるために必死で努力してきました。

「本来の自分が楽しく成長できる範囲」以上の結果を、常に求められていたように思います。

親からすると私は、希望を叶えてくれる「できる子」。

そのように映っていたかもしれません。

でも私は、特別な才能がある人間ではありません。

なので、「自分の限界」を超えた分は、真面目さと努力だけでカバーするしかありませんでした。

もちろん、努力は人間の成長に必要なものです。

私も今、自分がやりたいことのために努力をしています。

例えばこのブログ。

PC操作が苦手で、IT用語を聞いても「????」な私にとって、ブログを始めるのは大きな挑戦でした。

それでも努力できるのは…自分の意思で決めた目標だから。

「自分の経験を通して、悩んでる誰かの力になりたい。」

不登校初期、真っ暗なトンネルの中に、息子と二人だけで閉じ込められたような気持ちだった私。

そんな時、不登校経験者のママさんたちの発信に、何度も救われました。

学年も性別も原因も違う人たち。

でも、不安や苦しさは同じでした。

それを乗り越えてきた経験や考えは、私の希望となりました。

なので、自分も今苦しんでいる誰かの役に立ちたいと思ったのです。

苦手なことでも、「自分の意思で決めた目標」のためなら頑張れます。

同じ「努力」でも、「親の希望を叶えるため」のそれとは、全くちがうのです。

「べき」「ねば」思考

親は私のことを「とても育てやすい子だった」と満足そうに話します。

でもその裏には、自分の気持を我慢してきた私がいます。

  • 本当はこうしたいけど、親はこうしてほしいだろうから我慢しなきゃ。
  • 親の理想を叶えるためには、努力せねばならない。
  • 親をがっかりさせるのは親不孝だから、遊んじゃいけない。
  • 立派な人間にならなければならない。
  • 真面目に努力している姿を見せ続けなくては。

そんなことを思いながら育った私は、「不真面目」「適当」「だらしない」が許せない、「ガッチガチの真面目人間」になりました。

気づかずに刷り込まれていた価値観

多くのお母さんたちも、少なからず自分の育ってきた環境に影響を受けて、子育てをしているのではないでしょうか?

私もそうでした。

でも当時は、全く気づいていませんでした。

・私は正しい子育てをしている。
・良い母親にならなければいけない。
・息子を、ちゃんとした人間に育てなければならない。
・そのためには、真面目にコツコツと努力を続けさせなければならない。

でも息子の不登校と向き合っていくうちに、気づいたのです。

自分はずっと「親の価値観」に支配されて生きてきた事に。

40年近く、それが「自分の価値観」だと思い込んでいました。

そして、それが正しいと信じて、他の生き方を知らなかった私は、息子にも、「自分が知っている枠の中で育ってほしい」と思ってしまっていました。

自分も、小さい頃から悲しい思いをしてきたはずなのに…

いつの間にか、そんなことすら、記憶から消されてしまっていました。

でも、息子の不登校がきっかけで、自分が持っている価値観は、ただの思いこみだったと気づくことになるのです。

人が幸せになるためのルートは、他にもたくさんあるのだと…

まとめ

子どもの不登校をきっかけに、自分の育ちや価値観と向き合うようになった私は、「親の期待に応えるための努力」を無意識に続けていたことに気づきました。

「〜すべき」「〜ねばならない」という思い込みに縛られ、自分の気持ちを後回しにしてきた私。

そしてその価値観を、知らず知らずのうちに子どもにも押しつけていたのだと思います。

でも今は、自分の夢のために、自分の意思で進んでいます。

同じ「努力」でも、その意味はまったく違います。

過去と向き合うことはときに苦しいけれど、その価値観に気づき、少しずつ手放していくことで、子どもとの関係にも、優しさが生まれてきた気がしています。

同じように悩んでいる方が、「私だけじゃないんだ」と感じられますように。

そして、自分自身を責めずに、少しでも穏やかな日々を過ごせますように。

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また次回お会いしましょう。とらすけでした🐯



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