こんにちは!あおです(^^)
我が家の息子は小4で学校へ行けなくなり、小6まで完全不登校。
中1からフリースクールに通い始め、中2になった現在も笑顔でフリースクール継続中。
今は自ら勉強をするまでに回復しました。
前回は、小4・6月の登校渋りと、担任が産休に入るまでのことを書きました。
今回は、その後「新しい担任に変わってから」のお話です。
先生が変わることへの期待

原因となった担任が6月末に産休に入り、7月から新しい担任の先生に変わりました。
新しい先生は、年配だけど元気いっぱい、ユーモアたっぷりの明るい先生。
心も広く、子供にも親にも寄り添ってくれる。
何よりも「子供が大好き!」なのが伝わってくる先生でした。
親としても、「この先生なら、もしかして…」と、密かに期待していました。
しかし登校はできなかった

結果として、登校できたのは、先生が変わった最初の週に2日間と、1学期の終わりの3日間だけ。
息子自身も「新しい先生は話を聞いてくれそうだし、優しそうでよかった!」と話しており、
私たち夫婦も先生と面談し、これまでの経緯や息子の不安を共有して相談に乗っていただきました。
先生はとても協力的で、一つ一つの不安に対して具体的な対応策を提案してくださいました。
それでも、息子は登校できなかったのです。
なぜ?原因の担任はいなくなったのに…

当時の私は、原因をはっきりさせたくて、息子によく理由を聞いていました。
息子は学校に対する不安や苦手なことを色々と話してくれました(詳しくは後述します)。
でも、そうした「表面上の理由」だけが原因ではなかったのです。
根本的な原因は、やはり元担任によるひどい叱責事件。
息子は、その恐怖体験を誰にも言うことができず、自分の中で閉じ込めてしまっていました。
でも。
親子関係がもっと良好で、私が息子から信頼されていれば…
自分の気持や意見を、何でも安心して話すことのできる母親であれば…
息子がその出来事を話してくれて、心の傷も早く癒えていたかもしれません。
でもそうではなかった。
その結果、気づかぬうちに息子はうつ状態になっていたのです。
息子の異変

うつ状態に差し掛かっていることを一番感じたのは、【寝るのが怖い】と言っていたこと。
小さい頃からよく寝る子で、一度寝たら何をしても起きないような子でした。
そんな息子が、「なかなか眠れないし、毎日寝るのが怖い。明日の朝が来るのが怖い。」と言うのです。
「寝ると学校の怖い夢を見る。学校が悪魔になって自分を襲ってくる。」と話していました。
もっと早い段階であれば、先生が変わることで違う結果になっていたかもしれません。
でもこの時点で、息子の心の傷はあまりにも深く、
新しい先生の温かさがあっても、学校へ行ける状態ではなかったのです。
息子が語った「学校に行きたくない理由」

備忘録も兼ねて、当時息子が話していた内容を記しておきます。
・◯◯先生が怖い。すごくストレス。
・頭が常に痛い。月曜日は特にひどい。
・保健室はずっとはいさせてもらえず、行っても意味がない。
(頭痛が治ったなら教室に戻る or 頭痛が続くなら親に迎えに来てもらうよう言われる。)
・休んだ日は人から何を言われるか不安。外出するのも不安。
・ノートを書くのが苦痛。
・学校がつまらないし授業が面白くない。
・得意な教科は簡単すぎて面白くない。
・苦手な教科は、できてなくてもどんどん授業が進むからついていけない。
肝心の叱責事件のことは何も言わず、当時は上記のような理由を口にしていました。
どれも実際に、苦手だったりしんどいことであったとは思います。
元々文字を早く丁寧に書くことは苦手だったし、得意な教科と苦手な教科の差が大きいタイプであったことも事実です。
もし、叱責事件のような大きな心の傷がなく、うつ状態になっていなければ、先生に相談して環境を整えてもらうことで、登校できるようになっていたのかもしれません。
でも、息子の場合は、もうその段階ではなかった。
新しい先生は息子の心にとても寄り添ってくれる先生で、息子の不安に丁寧に対応してくれようとしていました。
しかしそれ以前に、学校自体への不信感、恐怖感が強すぎて、行けるようにはなりませんでした。
本当の理由は言えないこともある

学校に行きたくないと言う子が口にする理由は、必ずしも、それだけが理由とは限りません。
もちろん、何かはっきりしたきっかけがあって、それを早めに相談してくれる子もいると思います。
でも、本当の理由を口にすることができない子や、そもそも自分でもなぜ学校が辛いのかはっきりとわからない子も多いと思います。
表面上の理由だけに囚われず、その裏に隠れた本人の辛い気持ちはないか?
それを子供が話してくれるような雰囲気が、家庭内で整っているか?
大人が視点を変えて接してあげるだけでも、子供は安心感を感じると思います。
(もちろん口にしている小さな理由たちも嘘ではないので、先生に相談して環境を整えてあげることもとても大事だと思います。)
私は息子の限界に気づけなかった

スクールカウンセラーからは「とりあえず学校に来させれば気が紛れるから!」と言われました。
私は心の中で「それは違う気がする」と思いつつも、「このままずっと行けなくなったらどうしよう」という不安から、6月いっぱい、息子に“期待”をかけ続けていました。
口では「休んでいいんだよ」と言いながら、
登校できないと私が不機嫌になったり、プレッシャーを与えてしまったりしていたのです。
その結果、1ヶ月ほど経ったある日。
朝のやりとり中に、息子が泣き叫びながら言ったのです。
「父さんも母さんも、全然俺の辛さ分かってない!!
行きたいと思ってるよ!でも痛くて行けないんだよ!!!」
この時、ハッとしました。
「この子はもう、限界を迎えてたんだ…。」と。
自分がとても情けなかったです。
たった9年しか生きていない息子が、ここまで追い込まれていたのに、
私は自分の不安から、息子に無理をさせていました。
そして、やっと腹を括ることができました。
「この子を、ちゃんと休ませないといけない」と。
まとめ
学校に行けなくなったのは、「甘え」でも「怠け」でもありませんでした。
息子はただ、誰にも言えないほどの心の傷を抱えていたのです。
私はそれに気づくまでに、時間がかかってしまった。とても情けなかった。
でも今は、あのときちゃんと「休ませる」と決めてよかったと思っています。
あの選択が、息子の回復への第一歩になったのだから。
子どもが口にする理由の奥には、もっと深い気持ちがあることもあります。
もし今、我が子の「行きたくない」に悩んでいる方がいたら、
どうか「その言葉の奥にあるSOS」にも、耳を傾けてみてほしいと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これからも不登校に向き合う親子のリアルな葛藤を、少しずつお伝えしていきますので、また読みに来てもらえたら嬉しいです。あおでした(^^)
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